私たちは,ビルに激突する飛行機の姿を直接みていない。すべては,モニタの中と写真と活字でしかない。その総体で,事件として認識している。そして多くの人の意見と感想が,それに肉をつけていく。あの事件を「なんだったのか?」と考えさせる。まだ,終わらぬ,テロがある。
5歳になる息子が,ワールドトレードセンターのツインタワーの置物で遊んでいる。私たちは息子に事件が起こったことを説明するのに苦心した。息子は「誰がタワーを壊したの?」「なぜそんなことをしたの?」「誰かが死んだの?」と問いかける。いつか息子を連れて,タワーからの素晴らしい眺望をみせてやりたいと思ったが,今となっては,尊い命を道ずれに無に帰してしまった。息子は飛行機のおもちゃをビルにぶつける真似をするようになった。私は,「世界は本当は素晴らしい場所なんだよ」と云えるのだろうか?
米国同時テロ(過去記事)後,これだけの大きな事件であり,意見や感想などがネットワーク上にたくさんあふれた。また,この事件に関連させた悪質なワームの存在や(CNET Japanの記事),被害者への募金を装った詐欺なども起きている(CNN.co.jpの記事)。
この地平はリアルよりもよっぽど自由であり,どんな意見も感想も述べることは自由だ。テロを題材にした言葉遊びに興じてもいいし,所詮は海の向こうの出来事であり,ジョークで笑い転げることも自由だ。また,米国という国家の「強い」行動基準を批判してもいいだろうし,ひたすら戦争を回避することだけが正しいと固く信じてもいい。誰の口も封じるべきではないし,ネタとしての意見だって構わない。そして今回取り上げた記事のように,いつも米国PC業界の話題を取り上げるペターソンが,それに背を向けてこの話を取り上げたのも,その意味と,重たい気持ちを感じることができる。テロ後,冬眠日記のリンクやあめぞう2000(あめぞう2000を「テロ」で検索←重たいです)などからいろいろな意見に触れ,いろいろと考えることも多い。その,膨大な意見・感想は,爆発炎上した炎と煙のように,リアルっぽい。
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